4D界隈

別世界からウインクしてる

推しグループのメンバーが死んだ。

 

アイドルという存在を好きになってから、去年が一番つらいと思っていた。けれど、平成29年2月8日。その日が去年よりももっとつらい一日中だった。

 

昼ごろにツイッターがざわついていて、確認したら、信じたくない言葉が並んでいた。

この現実は今も信じられないでいるし、突きつけられたものであるけれども、受け入れることはしばらくできないなと思う。

そりゃあそうだ、余命幾許かという人に対してさえ残りわずかな命ですという現実を受け入れられないものなのに、今回みたいに、「未明に急変、搬送先の病院にて死亡」なんて話はあまりに突然すぎて受け入れられるわけがないのだ。そんなあっさり受け入れられるような人間、この世に存在するとは思えない。

 

本当に、2日経った今になっても、彼女がこの世からいなくなったということに実感が湧かない。

だって、数日前にはインスタグラムに「家族旅行に行ってきた」なんて更新してた子が、急にお星様になりました、って、そんなの誰が信じられるっていうんだ?持病があったような素振りだってなくて、それが、体調崩してあっという間に、って。あんまりにも、あんまりだ。

 

なんかね、何度も同じことを繰り返してしまうんだけど、エビ中の中でも特に元気で、はしゃいでたような、そんなりななんがそんなあっさりいなくなってしまったっていう、そんなわけないだろ、ってそういう風にしか思えないんですよ。

あんなに元気だったのに?どうして?なぜ?一朝一夕でいなくなるわけないでしょ?って疑問符ばかりが浮かんできてしまうんですよ。そんなわけないじゃん、って今でも思ってる自分がいるんですよ。公式からの発表だってきちんとこの目で改めて確認したのに。それでも、それをやっぱり信じられずにいる。

りななんはただ眠ってるだけで、王子様のキスで目覚めるんだよ、白雪姫みたいにね、とか、そういう風に夢を見てしまう。そんなわけ、ないのにさ。

 

綺麗だね、可愛いね、素敵だね、とか、現在や未来を語る言葉が何もかも潰えて、これからは彼女を語るための言葉が全て過去形にならざるを得ないのかって考えたら、それがひどく悲しくなってしまった。

動画や写真を見て、「綺麗だね」で終われたらいいけれど、「やっぱり綺麗だね」って、やっぱりってつけてしまうんだ。それをつけてしまったらもうそれは過去形だと思う。どうしようもない。やるせないったらない。

 

転校(エビ中は卒業と言わずに転校と言います)という形でエビ中を去るのなら、いつかはまた会えるかなとか、理事長のツイッターとかでたまに姿見せたりもあるかな、ってそういう可能性を考えられるけれど、こんなお別れをされてしまっては、もう、何も叶わない。可能性すらもない。

 

どうして、彼女でなければならなかったのだろう。彼女が18歳という若さでこの世を去らなければならなかったのだろう。それも、一切の覚悟をもさせずに。

あと半月ちょっとで高校を卒業して、春からは大学生活が始まって、もっと素敵な大人になるはずだった彼女の人生が、どうしてここで奪われなくてはいけなかったのだろう。

そういうことを、この2日繰り返し考える。若いうちに沢山学んで、沢山遊んで、もっと素敵な大人になる彼女を見たかった。全部叶わなくなってしまったよ。ひどいよ。あんまりだよ。

 

わたしたちでこんなにも受け入れられないのだから、ご家族やメンバーはもっと受け入れられないんだよな、と。

誰も、予測し得ないことだったから。予測できてたら誰もこんな思いはしてないわけじゃないけど、まだ、まだね。

メンバーには、無理して気丈に振る舞わないでおくれ、と我儘を求めてしまう。だって、そうされる方が、考えてしまうから余計につらい。

今はただ、心のままに、動いてほしい。春ツアーとか、やれるときまで大丈夫だから、とか、そんな、そんなことを。

今はただ彼女を偲んでおくれ、とばかり。

 

 

松野莉奈さん。18年という短い生涯を駆け抜けた貴女は輝いていた。眩かった。美しかった。

願わくば、早くもう一度貴女に生まれ変わってきてください。そんな我儘です。

そして、どうか安らかに。謹んで哀悼の意を表します。